1年間の合宿の振り返り+α

書いた人: SKK

初めての人は初めまして。GUT2年のSKKです。
2025年の合宿係を務めていました。
さて、GUTでは合宿が盛んに開催されており、今年は公式に行われたものでも4回の合宿が行われました。
GUT合同誌24、25の記事に詳しい様子が書かれていますが、ここでは合宿係から見た合宿の経過について述べようと思います。

合宿の軌跡

GUTでは主にdiscordサーバーを使って連絡や交流を行っておりますが、そのサーバーの中に合宿チャンネルというものがあります。
ここでは、合宿チャンネルにおいて募集や連絡が行われ、合宿係の私が運営に関わったものについて扱います。

春合宿in長野・糸魚川

3/4(火)〜7(金)にかけて行われた春合宿では、主に長野県内を巡りました。
これまでGUTの合宿は同じ宿に複数泊して、そこを拠点に色々な場所に行くという形態をとっていたのですが、この合宿では初めて(?)宿を移動しながら合宿を行う、いわば移動型合宿という形態をとりました。
1日目は上諏訪泊、2日目は松代泊、3日目は親不知泊と、長野県内を北上しながら様々なスポットを訪れました。

1日目

1日目は東京から諏訪への移動がメインで、16時頃から18時にかけての2時間でちょっとした観光を行いました。

まず向かったのは足長神社。駅からは少し離れているため今回が初めての訪問でした。
この時の諏訪は結構雪が積もっており、神社の近くの公園で雪合戦をしたり、普段は見られない雪にみんな興奮していました。



次に向かったのは諏訪大社上社の2社です。
実は私は初詣で四社巡りをしており、今回が今年2度目の諏訪大社参拝になりました。
雪が積もって人の少ない諏訪大社というのは初めてで、まだ見ぬ諏訪の姿を垣間見ることができました。

夜の境内裏はロマンティックね(←のんき)

1日目の観光はこのくらいで、本格的に観光をするのは2日目からになります。

2日目

2日目はまず手長神社を訪れました。昨日訪れた足長神社とあわせて、諏訪子のスペカの聖地になります。


その次に高島城を訪れました。
城内には諏訪の歴史に関する展示が数多くあり、とても勉強になりました。

その後、昨日行かなかった諏訪大社下社の2社を参拝しました。

諏訪観光の最後に、岡谷にある洩矢神社を参拝して、2日目の宿泊地である松代に向かうことにしました。

松代に向かう途中に寄った姨捨サービスエリアから望む善光寺平。

宿に到着した後は、風神録を部屋の壁に投影しながらプレイしたり、楽しい時間を過ごしました。

3日目

3日目は主に善光寺平を観光しました。
まずは宿泊地の近くにある松代象山地下壕に向かいました。
第二次世界大戦の末期に政府機能の移転を目的に作られたこの施設はなかなかに広く、当時の情勢を今に伝える貴重な施設であると感じました。



その後、長野市の中心市街地を通って善光寺に向かいました。

真っ暗な通路を手だけを頼りに歩くお戒壇めぐりなどをしました(地震柱を探すのを忘れてて悲しい)。
昼食を取った後、二つのグループに分かれ、宿泊地である親不知で集合することになりました。
私のいたグループでは長野市から白馬を経由して国道148号線で糸魚川まで向かう行程を取りました。

白馬長野有料道路の料金所跡。2月に無料開放されてから1ヶ月も経っておらず、いいタイミングで通ることができました。
白馬を通過して北上していくとだんだん雪が深くなっていき、日本海が近づいていることを実感します。

宿でもう片方のグループと合流しこの日の行動は終わりました。
宿は親不知の断崖絶壁に建っており、窓からは冬の日本海の荒波が見えました。

宿の夕食は日本海の新鮮な海産物を使った豪華なもので、どれもとても美味しくいただけました。

4日目

最終日である4日目は、親不知を少し探索した後、ヒスイ海岸での翡翠探しをしました。


展望台から見た親不知の断崖絶壁。

翡翠の鑑定をしてくれるという施設が富山県側にあったので、少しだけではありますが富山県に入りました。



ヒスイ海岸で翡翠を探す様子。結局この日翡翠を見つけることは叶わず……

翡翠は見つかりませんでしたが、みんなで翡翠を探すという経験は宝探しをしているみたいでなかなか楽しく、貴重な体験でした。
その後は特に寄り道などはせず、東京に帰ることになりました。
特にトラブルもなく東京まで帰り、最後に打ち上げで唐揚げを食べて春合宿は終了しました。

鬼怒川合宿

鬼怒川合宿は、6/7(土)〜8(日)に栃木県日光市にて行われました。
参加者は5人で、一台の車で行動しました。

1日目

駒場キャンパスにて集合後、東北自動車道を北上して鬼怒川温泉に向かいました。
鬼怒川温泉に到着後、ちょうどSLが鬼怒川温泉に来ているということで、駅の方に向かいました。
鬼怒川温泉に来たSLというのは東武鉄道の運行するSL大樹で、ほぼ毎日運行しています。
この時は、ちょうど転車台で機関車が方向転換する様子を見ることができました。


周りの人の多さからも、SLがもたらす集客効果の大きさを実感します。
機関車の機回しを見学した後、駅前の観光情報センターでやっていた利き酒体験をすることになりました。

栃木県内の様々な地酒が取り揃えられており、それぞれの違いを楽しむことができます(私は酒が飲めなかったので利き酒の様子を眺めているだけでしたが)。
その後、ホテルにチェックインし荷物を置き、身軽になった状態で鬼怒川温泉を色々と探索する事にしました。
鬼怒川温泉はその名の通り、温泉街が鬼怒川の両岸に発達しており、鬼怒川にかかる吊り橋からは川にせり出すように建てられた旅館群を一望できます(中には廃墟となってしまったものもありますが……)。

さて、鬼怒川温泉はその名前にも含まれる「鬼」をイメージキャラクターとしていて、散策中にも階段に巨大な鬼の絵が描かれているのを見ることができました。

散策を一通り終えホテルに戻ってきました。
今回泊まったホテルは伊藤園ホテルニューさくら。

本館と別館、南館の3つに別れており、今回泊まったのは南館でした。
どうやら、元々は3つに別れていた旅館を伊藤園ホテルズが買い取り、一つのホテルとしてリニューアルしたという歴史があるらしいです。
歴史があるだけあって、昭和の慰安旅行が行われていた頃の旅館の雰囲気を感じさせる場所が随所にありました。

無駄に広く、通路と直結したビリヤード場。おそらく南館が独立した温泉旅館だった頃に、フロントとして使われていたのではないかと思います。
謎に骨董品が置かれているのもその説を補強します。
ホテル内はなかなかに広く、散策してるだけで結構な時間を使ってしまいました。
往時の温泉旅館の雰囲気を感じたい方にはおすすめです。

2日目

2日目は主に日光市街地を中心に観光をしました。
まず初めに向かったのは東京大学大学院理学系研究科附属植物園、通称日光植物園です。


日光植物園は、その名の通り東大の施設で、東大生であれば無料で入ることができます。
園内には高山植物や寒冷地の植物などが植えられており、色々な形態の植物を観察することができます。

また、日光植物園の一部はもともと田母沢御用邸として使用されていた土地であり、戦時中には上皇陛下が疎開された場所でもあります。
そのため、現在でも園内には防空壕の跡が残っているなど、歴史を感じられる箇所がいくつかあります。

日光植物園を後にして、次に向かったのは日光を代表する観光名所、日光東照宮です。
東照宮に行くのは小学校の修学旅行以来で、その時には修理中であった陽明門が綺麗に佇む姿を見ることができました。

次に、東照宮と並ぶ日光の観光名所である華厳滝を訪れました。
東方的には弾幕アマノジャクに登場するにとりのスペカ『瀑符「ケゴンガン」』にその名前が登場します。

華厳滝から中禅寺湖沿いを西へ進むと、日光二荒山神社中宮祠に着きます。
こちらの浜鳥居が地霊殿スタッフロールの背景に使われているとされ、実際に見てみると確かに既視感のある光景でした。

また、同様に東方原作の背景に使われているとされる場所として、龍頭の滝があります。こちらも今回の合宿で訪れました。

こちらは風神録のプレイ画面全体の背景素材として使われており、確かにPlayerやPowerという文字の左側に滝のようなものが見え、その形と龍頭の滝の右側の滝の形が一致しています。
このように、日光には様々な東方の聖地があり、それらを巡っているうちにあっという間に帰る時間になりました。
日本有数の一大観光地、日光は、東方的にも大変面白い場所です。
もし日光に来る機会があれば、聖地巡礼も一緒に行ってみてはいかがでしょうか。

夏合宿in紀州

夏合宿は8/19(火)〜8/22(金)にかけて、三重県及び和歌山県にて行われました。

0日目

合宿本編が始まるのは8/19ですが、私の自宅の車を使う関係で、私を含む4人は1日前の8/18に東京を出発しました。
この日は特段観光などはせず、ひたすらに新東名を西に走り、宿のある四日市まで向かいました。


御殿場JCT付近の看板。

1日目
伊勢市駅で新幹線で来た8人と合流し、伊勢神宮の外宮に向かいました。


私にとっては去年の9月に行った以来1年ぶりの伊勢神宮参拝でした。
ただ、外宮に併設されている博物館、せんぐう館に行くのは初めてで、式年遷宮のしくみや伊勢神宮の習俗について色々と学ぶことができました。

参道で軽く腹ごしらえをした後、伊勢神宮の内宮へと向かいました。

内宮に行くためには五十鈴川にかかる宇治橋を渡る必要があります。
川によって神域と生活圏が分離されていると感じ、興味深かったです。
内宮は外宮よりも広く、より森が深い場所に位置しています。
そのため、神域に足を踏み入れているという感覚は内宮の方が強かったです。
また、神道の持つアニミズム的な側面を感じることもできました。
内宮の参拝も終え、1日目の最後に向かったのが猿田彦神社です。

猿田彦神社はその名の通り、猿田彦大神を祀る神社です。
猿田彦大神はその見た目から、天狗と同一視されることがままあり、東方においては射命丸文との関連が深いです。実際、いくつかの文のスペルカードには猿田彦大神をモチーフにしていると考えられるものが存在し、風神録の岐符「サルタクロス」などはその例です。
猿田彦神社の参拝も終え、今日の宿がある鳥羽市相差町に向かいました。
相差町は海女と漁師の町を自称しており、実際に宿では伊勢海老やタイのお刺身をいただくことができました。

どれも新鮮で量も多く、大変美味しくいただけました。
これだけの料理が出るにも関わらず宿泊代が1万円以下であったので驚きです。

2日目

2日目はまず伊勢から一気に和歌山まで移動しました。
本当は道中の色々なスポットにも寄りたかったのですが、3泊4日で合宿を行う都合上泣く泣く諦めました。
この日最初に訪れたスポットは熊野速玉大社。全国に5000近くある熊野神社の総本宮として知られる熊野三山の一つです。


熊野三山は「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産にも登録されており、境内にはそれを示す石碑もありました。

また、境内には石碑の他にさざれ石が置かれていました。
つい3日前に頒布されたばかりの東方錦上京の6面ボス、磐永阿梨夜のスペルカード『石神「厳となるさざれ石』のモチーフとなっていたためとてもタイムリーでした。
速玉大社を後にし、次の目的地である熊野本宮大社に向かいました。
速玉大社が新宮市の市街地にあったのに対し、本宮大社は熊野川の上流の山間部に位置し、より自然を感じられる場所にありました。

また、本宮大社には熊野古道が通っており、熊野古道を通って本宮大社に参拝しに来た修験者の方々もいました。
熊野神社の分布図。私の家の近くにも熊野神社があり、初詣はだいたいそこに行っているので熊野神社は馴染み深い存在です。
なお、2日目に合流予定だったGUT代表(当時)が本宮大社で合流したので、合宿参加者が合計で13人となりました。
熊野三山のうち2社への参拝を済ませた後、ホテルに直接向かうグループと奈良県の十津川村に向かうグループに別れました。
私も十津川村に行きたい気持ちがあったのですが、チェックインをする関係でホテルに直接向かうことにしました。
この日泊まったのは、那智勝浦町にあるホテル浦島。
南紀勝浦温泉を代表するホテルで、半島丸ごとが一つのホテルになった巨大施設です。
中には4つの館と6つの温泉があり、1日かけても全てを回り尽くすのは困難に思えるほど大きいです。
今回泊まったのは本館で、窓からは那智勝浦の漁港と市街地を一望することができました。

また、ホテル浦島は料理も素晴らしく、ビュッフェ形式だったのですが刺身や寿司をはじめとした魚介類、うなぎの蒲焼までも食べ放題でした。

何を食べても美味しくいただけ、一回で全てを堪能するのは不可能でした。
そして、何といっても良かったのがホテル浦島自慢の温泉。
海を見渡すことができる忘帰洞は硫黄の臭いが立ち込め、温泉とはまさにかくあるべしと感じました。
更に、ホテル浦島は半島全体が敷地のため、ホテルの外に出て半島全体を散策することができます。
深夜の那智勝浦は星の光を遮るものが何もなく、更にこの日の月がほぼ新月だったこともあり、とても綺麗な星空を見ることができました。

肉眼でも上の画像とほぼ同じような星空を見ることができ、天の川もはっきりと分かりました。また、いくつか流星も見ることができ、忘れられない時間になりました。
半島の中には様々なスポットがあり、こちらの石碑もその一つ。

こちらの石碑は、歴史の教科書にも載っているノルマントン号沈没事件の石碑です。
ノルマントン号の沈没した海域が那智勝浦の近くであるため、このような石碑が残されているのでしょう。
この日のホテルの探索はこのあたりにして、残った箇所は翌日に探索することにしました。

3日目

3日目は、ホテルの敷地内にある展望台から朝日を眺めることから始まりました。


眼下に広がる太平洋には遮るものが何もなく、朝日が昇っていく様子を心ゆくまで楽しむことができました。
ホテル浦島の名物として、本館と山の上の山上館とを結ぶ、全長154m、高低差日本一のエスカレーター「スペースウォーカー」があります。
その高低差は77mにもなり、全てを乗り通すとなんと6分近くもかかります。
かつてはケーブルカーが走っていたそうで、それをエスカレーターに置換したというので所要時間の長さにも納得できます。
さて、ホテル内の探索も終わり、チェクアウトの時間も迫っていたので、名残惜しくもホテル浦島を後にしました。
そして、熊野三山の最後の1社、熊野那智大社に向かいました。

那智大社は山の中腹にあり眺望は他の2社と比べとても良かったです。
那智大社からは、近くにある名瀑、那智の滝を望むことができました。

なお、熊野三山と東方との関連性として八咫烏があります。
八咫烏は神武天皇の東征の際に熊野から大和への道案内を務めたとされ、熊野においては熊野大神たる素戔嗚尊に使える存在とされており、熊野のシンボルとなっています。
熊野那智大社には境内に八咫烏を祀る神社があります。

また、熊野に特有の神符である熊野牛王符には烏文字が用いられており、こちらもカラスと関係しています。

GUTの部室に祀ってある那智大社の熊野牛王符。烏文字で右上から、那智結瀧寶と書かれています。
また、熊野三山はその名称から分かる通り、仏教との関わりが強く、特に那智大社は神社の隣に青岸渡寺という寺があるなど特にその繋がりを強く感じさせます。
さて、那智大社を後にし、近くにある那智の滝に向かいました。

那智の滝は日本三名瀑にも数えられる大きな滝で、その落差は一段の滝としては日本一だといいます。
この日の宿泊地は和歌山県みなべ町。
那智の滝はほどほどにして、紀伊半島をどんどん巡っていきます。
昼食は、太地町の道の駅たいじにて鯨の刺身と竜田揚げをいただきました。

鯨のうま味が強くて美味しかったです。
次に向かったのは、日本に16しかないのぼれる灯台のうちの一つ。潮岬灯台です。

灯台の名前にもなっている潮岬にもこの後出向きました。
本州最南端の地とだけあって太平洋がとても広く見えました。
その後は寄り道などはせずひたすらに紀伊半島を北上し、宿泊地であるみなべ町に向かいました。
ホテルに着く直前に色々とトラブルがあったのですが、ここでは省略します。

4日目

4日目は主に白浜観光の1日になりました。
まず最初に、南紀白浜空港で離脱する人がいたので空港まで送ることから始まりました。


1日にJALの東京便が3往復あるだけですが、東京と和歌山の移動に使うには便利です。
空港への送り迎えで以外といい時間になってしまっていたので、昼食をとれとれ市場にて取ることにしました。

とれとれ市場は大変賑わっていて、パンダがいなくなった後でも多くの観光客が白浜を訪れているようでした。
昼食後、白浜にある平間神社に向かいました。

平間神社は、全国でも数少ない天探女を祀る神社です。特に祭神の案内などはなかったのでその実感はありませんでしたが。
白浜観光の最後に千畳敷を訪れました。

海食作用によって作り出された雄大な景色には自然の力強さを感じました。
千畳敷を後にし、和歌山県内を北上。
解散場所である和歌山駅に到着しました。

総移動距離400km以上と大きく移動した合宿でしたが、トラブルもありつつ無事に終えることができて良かったです。

5日目

ここからは合宿レポートではなく、私の個人的な旅行のレポートになります。
合宿後、私は和歌山市に泊まり、和歌山及び奈良の東方聖地を回ることにしました。
まず初めにかつらぎ町にある丹生都比売神社に向かいました。


丹生都比売神社は紀伊国一之宮で、高野山と深い関係があります。
また、丹生都比売神社のある辺りは天野の里と呼ばれていて、西行の妻や娘が暮らした場所と伝わっています。
西行の娘といえば、そう。西行寺幽々子です。
天野の里には西行の妻と娘が暮らしたという西行堂が残されています。

また、2人のものと伝わる墓もあります。

この墓に続く道がなかなかの獣道で、見つけるのに何十分もかかってしまいました。
ここに西行の娘が眠っているそうですが、周囲に桜の木はなさそうでした。
昼食には、天理ラーメンの有名店、彩華ラーメンにていただきました。

天理ラーメンらしいパンチがあって美味しかったです。
次に、明日香村の有名な古墳をいくつか回ることにしました。
訪れたのは石舞台古墳とキトラ古墳で、どちらも特色があってなかなか興味深かったです。


次に、葛城一言主神社を訪れました。

こちらにはかつて存在した土蜘蛛の体が埋められたという蜘蛛塚があります。

土蜘蛛といえば、黒谷ヤマメ。
彼女に関連するスポットになります。
この日の締めくくりに、大和郡山市にある賣太神社を訪れました。

賣太神社は稗田阿礼を祀る神社で、この神社のある集落は稗田町という名の環濠集落になっています。

6日目

次の日は、大阪に出向き、私にとって今回で3回目となる大阪・関西万博に行きました。
まず初めに向かったのはイタリア館。9:10頃に万博に入場して1時間半ぐらい並んで見ることができました。


イタリアから運ばれてきた本物の芸術作品の数々を実際にこの目で見ることができてとてもよ月です。
その後は英国館やポルトガル館、フィリピン館を回ったのち、予約の取れていた日本館を訪れました。

開催国とだけあって展示は充実しており、先進技術も見ることができて興味深かったです。
次に向かったのはアメリカ館です。2時間ほど並んで入ることができました。

“現在の”アメリカの姿が現れていて面白かったです。
その後はネパール館、韓国館などに入り、万博にるアニメイトにも訪れました。
普通のアニメイトだと東方の取り扱いはそこまで多くないのですが、万博会場のアニメイトでは東方のキーホルダーやアクリルスタンドが数多く取り揃えられていて、見てて楽しかったです。
この時は永琳のクリアファイルを買いました。
その後は大屋根リングに登り、夏休み中毎日開催されている花火や「アオと夜の虹のパレード」などを鑑賞しました。

万博の最後に、人のいなかった吉本館に寄り道をしつつ、自由入場になっていたパソナ館を訪れました。

人工心臓や映像ショーなど、魅力的な展示が多くありました。

こうして大阪・関西万博を満喫した一日を終えたのでした。

7〜9日目

次の日からは滋賀で行われた大学東方合同合宿に参加しました。
色々な出来事がありましたがここでは説明を省略させていただきます。
合同合宿参加後、最終的に帰ったのは家を出てから10日目の8/28になりました。
なかなか長丁場の旅行でしたが、様々な体験をすることができた楽しいものとなりました。

秋合宿in三遠・信州

秋合宿は11/1(土)〜3(月・祝)の三連休に行われました。

この合宿では、主に鉄道を利用するグループ8人(以下、鉄道組)と、車を利用するグルプー3人(以下、車組)に分かれており、私は車組にいました。ここからお伝えする模様は、主に車組の様子となります。

1日目

本郷キャンパスにて車組の3人が集合後、とりあえず静岡県富士市まで向かうことになりました。
車は首都高渋谷線から東名高速に入り、そこまでは良かったのですが、三連休の初日ともあって東名は大渋滞。
横浜町田IC付近で1時間近く渋滞にはまっていたと思います。
ここまでは最初から想定内。三連休である以上避けられないだろうと予測はついていたので良かったのですが、問題はここからです。
東名下り大井松田IC〜足柄SIC間には左ルートと右ルートがあり、2車線×2の4車線分の道があります。
しかし、現在東名リニューアル工事に伴い右ルートが閉鎖されているため、車線が2車線しか存在しないことになっています。
つまり、車線数が通常の半分しか存在しなかったのです。
加えて、御殿場JCTより先は新東名が使えるため普段なら渋滞も緩和されるはずなのですが、この日の朝に新東名下り線にてひき逃げ事件が発生したため、その捜査の関係で新東名下り線が通行止めになっていました。
その二つの要因が重なり、大井松田ICから先も大渋滞。通常であれば2時間半で着ける道に4時間半もかかりました。
何はともあれ無事に富士市に着きました。昼食をとった後、最初の目的地である竹採公園を訪れました。


竹採公園はその名から分かる通り、かぐや姫伝説の残る場所になります。富士市を含む富士山周辺にはかぐや姫伝説の残る場所が数多くあり、竹採公園はかぐや姫が一時期暮らしていた場所とされます。しかし、富士に伝わるかぐや姫伝説は竹取物語の話とは異なる箇所が多々あり、例えば最後に月に帰っていくはずのかぐや姫ですが、富士においては富士山の仙洞に帰るというものになっています。

なお、竹採公園は愛鷹山の麓のやや高い場所に位置しており、富士市内の工場の風景を眺めることができました。
工場の煙がもくもくと上がる様からは東海工業地域の力強さを感じます。

富士市には他に富士山かぐや姫ミュージアムという富士のかぐや姫伝説に関する博物館があり、そちらも訪れたかったのですが時間の都合上諦めることに。
宿に向けて西に進むことにしました。
途中、富士山が綺麗に見えるスポットを見つけたのでちょっと寄り道。


徐々に雪を被りつつある霊峰の姿には格別の美しさがあります。
寄り道はすぐ終わり、新東名をひたすら西に進んで、次の目的地、小國神社に着きました。

小國神社は遠江国一宮で、祭神は大国主。
東方的にはてゐと関わりが深い神様です。
境内には大国主に関する歌の掲示があり、儚月抄において永遠亭の兎達が歌っていた歌を彷彿とさせます。

さて、小國神社の参拝を終えて、今日の宿に向かうことにしました。本当は秋葉神社とかにも行きたかったのですが、こちらも時間の都合で断念。

小國神社から1時間半ほど走って着いたのが愛知県北設楽郡設楽町にある中野屋旅館萃夢荘さん。


その名前から分かる通り、東方好きの店主さんがやってらっしゃるお宿で、中には萃香のグッズで埋め尽くされた部屋がありました。

夕食は地元の食材などを使った豪華なもので、どの料理もとても美味しかったです。

加えて、店主の方が自ら企画されたという東方のお酒を飲むこともできました(私は20歳未満だったので飲めませんでしたが……)

夕食を終えると、東方の絵柄の麻雀牌を貸していただいたので、そちらをプレイすることに。

やはり東方の絵柄だと気分が上がります。
昔はGUTにも同じものがあったらしいのですが、いつの日からか行方不明になっているそうです。今では普通の麻雀牌しか持っていないので、いつか東方の絵柄のものも手に入れたいですね。

なお、萃夢荘の宿泊者は鉄道組3人、車組3人の計6人で、鉄道組は昼頃には設楽町についており、そこの酒造が開催している酒造り体験をしていたようです。
そして、萃夢荘に宿泊しない5人は新城市の宿に泊まっていました。彼らは豊川稲荷を観光していたようです。

2日目

名残惜しくも萃夢荘を後にし、最初に向かったのは設楽町にある道の駅したらです。


道の駅したらに展示されていた豊橋鉄道田口線の車両

こちらには郷土資料館が併設されていたのですが、奥三河の山の中とは思えないほど展示物が充実しており、設楽町が奥三河の中心地であったことが窺えます。
この日の宿泊地は諏訪市なので、この後はひたすら伊那路を北上していくことになります。
途中、奥三河に来たついでに寄りたかったスポットに寄り道。
東栄町にある月浄化センターです。
なんとも東方チックな名前をしていますね。


浅間浄穢山は愛知にあった⁈(マジだよ)

その後長野県に入り、阿南町にある道の駅信州新野千石平で昼食を取ることになりました。


私は信州名物の馬刺しをいただきました。ジューシーで美味しかったです。
腹ごしらえを済ませた後は、更に伊那路を北上します。その道中、国の名勝にも指定されている峡谷、天竜峡に立ち寄りました。
天竜峡はその名の通り、諏訪湖から流れる天竜川が作り出した峡谷で、この時は木々が綺麗に色付いていていました。

天竜峡を後にし、かねてより私が行きたかった大鹿村に向かうことにしました。
大鹿村は伊那谷の東側にある谷の中に存在する村で、人口900人未満、村内にコンビニも信号もないまさに秘境の村です。
では、どうして私が行きたかったのかというと、大鹿村には日本を東西に走る長大断層、中央構造線が通っているからです。
大鹿村のある谷は南アルプスの西側を直線上に走っていますが、こちらも中央構造線の断層運動によるものです。
そして、私たちが訪れたのが、大鹿村にある中央構造線博物館。

規模はそこまで大きくないながらも、地球科学に関する展示が充実しており、大学では地球科学を学んでいる私にとっては大変面白いものでした。

諏訪盆地の成因を解説する展示。このような展示が多数ありました。

中央構造線博物館からは、大西山の大崩壊が見えます。

こちらは1961年の三六災害で発生した深層崩壊の際にできたもので、現在も植生が回復していないことからは崩壊の大きさを感じさせます。

中央構造線博物館を後にした私たちは、諏訪へ向けて国道152号線を北上することにしました。
国道152号は上田から茅野、大鹿村を経由して浜松市までを結ぶ国道で、諏訪大社上社前宮の前も通っています。
こんな152号ですが、マニアの間では所謂「酷道」として知られており、途中の2ヶ所に車両が通れない区間があることでも有名です。
そんな152号ですが、大鹿村から諏訪方面へ向かうには最短距離であり、途中の分杭峠からの眺望が素晴らしいということでそちらを使用することにしました。
途中、車が行き違うのが困難であるような細い道が30分ほど続き、なかなか運転は大変でしたが、どうにか分杭峠に来ることができました。


分杭峠からは中央構造線の作り出した谷がよく見え、紅葉も相まって大変壮観な眺めでした。

分杭峠を過ぎるとだんだん夜が降りてきて、途中高遠でトイレ休憩をした以外はひたすら諏訪に向けて走りました。
もし時間があれば高遠の観光もしたかったのですが、そちらもまた今度の機会に。
車組は無事に上諏訪駅に到着することができ、そちらで鉄道組と合流。ここからは、車組の車と上諏訪で借りたレンタカーの2台で行動することになります。
本日の宿は霧ヶ峰にあり、夕食には信州の郷土料理をいただくことができました。

地場の食材を使った料理の数々はどれも美味しかったです。
さて、車組は本来8人いるのですが、うち1人が行きの新幹線の中に荷物を忘れてきており、新大阪まで取りに行っていました。
そのため1人だけ上諏訪駅への到着が遅くなり、別途車で迎えに行くことになりました。
列車の到着まで時間があったため途中立石公園に寄り道しました。

立石公園は諏訪湖を一望できる場所で、夜の21時半にも関わらず多くのカップルが訪れていました。

なお、鉄道組の行動についてですが、本長篠駅で萃夢荘組と新城宿泊組が合流した後、ひたすらに飯田線を乗り通していました。
本長篠から上諏訪までは普通列車で6時間。大変長い乗車でしたがカードゲームなどをして楽しんでいたようです。
余談ですが私の大学の友人が同じ飯田線の列車に乗っており、車内での邂逅があったようです。
世間は狭いな〜

3日目

3日目は諏訪を主に観光する7人と、霧ヶ峰から美ヶ原高原の方に向かう4人の2グループに別れました。私は諏訪の方を観光していたので、そちらの様子についてお伝えします。
今までに諏訪に行ったことのない新入生に諏訪の魅力を知ってもらうということを結構意識していたので、オーソドックスに諏訪大社四社と洩矢神社を中心に諏訪を巡ることにしました。
まず向かったのは上社本宮です。


実は本宮には1月の初詣と3月の春合宿のほかに、6月の別サークルの合宿、及び8月の諏訪湖花火大会の際にも訪れていたため、今回が今年5回目の参拝となりました。
諏訪は季節ごとに色々な顔を見せてくれるため、何回行っても飽きないですね。
次に、上社前宮を訪れました。

前宮で水眼の清流などを見た後、東方グッズが置いてあることでお馴染みの茶処山里さんで昼食を取ることにしました。

最近は大学東方で訪れる方も多いらしく、店内に置かれているノートにも様々な大学の東方サークルが訪れている様子が書かれていました。
昼食を済ませ、次に向かったのは前宮の近くの国道152号沿いにある守り神ピラミッドです。

錦上京体験版の頒布時から道神馴子のモデルではないかと注目されていて、今回初めて実物を見ることになりました。
現地で見てもなかなか異彩を放っており、奇妙な雰囲気を感じました。
気になる方はぜひ行ってみてはいかがでしょうか。
ピラミッドを後にして、次に下社の2社を巡ります。
先に秋宮を回ります。

その名前に含まれているだけあって、秋宮の秋は紅葉が美しく、他の3社と比べても格別に秋が映えていました。
四社巡りの最後に春宮を訪れました。

かくして今年4回目になる四社巡りを終え、東方ファンの聖地たる、岡谷にある洩矢神社に向かいました。

これで新入生に向けたオーソドックスな諏訪聖地巡礼を終えました。
諏訪観光の最後に、釜口水門の近くにある岡谷湖畔公園に寄る事にしました。
諏訪湖の湖畔からは冠雪した八ヶ岳がよく見え、色付いた諏訪の山も相まってとても綺麗でした。

こうして諏訪観光を終え、3日間に及んだ秋合宿の行程が全て完了したのでした。

ここまで諏訪観光をしたグループの話をしましたが、美ヶ原高原に行ったグループの話もしておきます。
初めの目的地は、道の駅美ヶ原高原。霧ヶ峰からひたすらにビーナスラインを走り、どんどん標高を上げていきます。
途中からは雪が降り始め、どんどん勢いが増していきました。後から分かった事なのですが、この日がちょうど美ヶ原高原の初雪の日で、2週間後には道の駅の今シーズンの営業が終了するという時期だったそうです。
道の駅では、レストランにて鹿肉うどんをいただきました。
実は、美ヶ原高原に向かったのはこの道の駅で鹿肉を食べるためだったりします。
何はともあれ無事に道の駅を堪能することができ、次の目的地、信州大学松本キャンパスに向かいます。ちょうどこの日は信州大学の学園祭が開催されており、そちらに信州大学の東方サークル、東方信嶺譚さんも企画を出されるということでお邪魔しました。
関東以外の大学東方サークルと交流する貴重な機会となりました。
その後、上諏訪に帰り、諏訪観光組と合流して合宿を終えました。

最後に

ここまで読んでいただきありがとうございます。
書き起こしてみると今年は合宿で様々な場所に行った盛りだくさんの1年でした。
来年は今の1年生が主に合宿の運営を担うのですが、どんな形の合宿になるのか楽しみです。
では、良いお年を〜