目次
○クラシック研究部(中学時代)
○合唱コンクール(中1・中2)
○Youtube Music及び多様な音楽ジャンルとの出会い(中3以降)
・Nightcore
・東方二次創作及び幽閉サテライト
今回はここまで
・ボーカロイド
○声楽
この子たちは原作から抜け落ちてたのでまた今度です。
ほんとは幼少期から書いた方がいいんですけど、くどくなりそうなんで中学くらいからにします。
スペック
・ヴァイオリン(4歳から)
・オーケストラ(小3から)
・歌(東方ボカロアニソン)(中3から)
ってか高校の卒論もとにしようとしたらほとんど原稿が消えてて大号泣
えーりんたすけてー
(といいながら結構卒論を土台にしてる感じです。すみません。)
○クラシック研究部
ご存じの方もいらっしゃると思いますが、ぼくは灘中灘高の出身です。灘には「クラシック研究部」って部活(略してクラ研って呼びます)があるんですよね。で、ぼくは入学してしばらくたった6月にクラシック研究部に入りました。ぼくがクラ研のことを知ったのは小6の5月に文化祭で初めて灘校を訪れた時です。演奏を聴いて、その場で「灘に入学したらクラ研に入ろう」と思うようになりました。クラ研は他校の音楽系クラブと比較してもかなり異色なクラブです。世間ではクラシック音楽関連の部活としては「オーケストラ部」を作るのが一般的なようで、地元の県立高校や開成高校など、オーケストラを持つ高校は数多くあります。もちろんオーケストラ部以外にもブラスバンド部や弦楽部など、集団の構成要員を変化させて様々なパターンの「合奏団」と呼べる部活動が存在します。しかし、クラ研のように「ソロ演奏」がメインの部活はクラ研しかないんじゃないでしょうか…?
そんなクラ研にぼくが求めていたのは「発表の場」としての役割でした。小学生のころ、ぼくは年1回、8月に倉敷市で行われる児童音楽コンクールに出場していました。小学生を対象としたコンクールが少ない中、中国地方各地から参加者が集まり、その中には音大志望者もそこそこいる、それくらいのレベルのコンクールです。もちろんそこで審査員の方から講評をいただき、運がよければ賞を狙うという目標もありましたが、コンクール出場の根元にあったのは「人前で演奏する機会」を得られるということです。
音楽を長期間続けてきた人なら分かるかもしれませんが、「ある曲を演奏できるようになる」ことと「人前で聞かせられる演奏に仕上げる」ことの間にはかなりの差があります。これは東大幻想郷の演奏企画にも言える話ですよね。演奏前に急激に仕上げるにしろ、割と余裕をもって仕上げるにしろ、曲を抱えすぎて死ぬにしろ、ゴールがあることで音楽的に、技術的に成長するんです。人前で演奏する機会というのは特に小学生のうちはこの差を埋めるための努力のモチベーションとなり、多くの指導者はその機会確保も目的として門下生を集めた「発表会」を行うそうです。ぼくの師事している先生は発表会をされておらず、その代わりもかねていたのがコンクールでした。
児童音楽コンクールがクラ研の年3回のコンサートに変わった、というとかなり無理やりな感じがしますが、中学時代のぼくは両者を同じような感覚でとらえていました。クラ研のコンサートは外部からも人が来るので、それなりの緊張感をもって取り組めるわけで。まあただ、顧問の先生に「コンサートと発表会の違いを考えろ」って言われた時には(たしか高1の頃ですけど)さすがに悩みましたね。これって多分、今のGUTの演奏会にも言えるじゃないですか。「東方の曲弾けるのすごい!」「音楽できるだけでもすごい!」これでもいいと思うんですよ。でもね、やっぱり聞いていただいてるというか、自分たちの曲(まあ編曲してるのでこういう言い方してもいいですよね)を数十人の方々の前で表現できる、つまり自分たちの思いを伝えることができる機会ってなかなかないと思うんですよね。だから「弾けるだけ」じゃなくて、なんていうか、ぼくが幽閉サテライトさんの曲聞いて「うわぁ…(感動)」ってなった時までいかなくても、いつかみんなとそういうレベルの演奏ができたらいいなって思ってます。あと、室内だけじゃなくて五月祭、駒場祭で野外演奏したりとかね。やりたいです。
○合唱コンクール
中学ではクラ研以外にも学校で音楽活動がありました。合唱コンクールです。今振り返れば合唱コンクールは様々な面で良い経験になったりなにかのきっかけになった出来事がいくつかあったと思いますが、思い出としてはいいことより辛かったことの方が多いです。
中1の時は1学期にソプラノとして練習を始めたものの、夏休みに声変りが来てしまい、2学期からの練習が大変でした。無理やり高い声を出そうとするからか、練習後は日常生活で思うように声が出しにくい日もあり、声帯が傷んだのではと不安になることもありました。この時に「高い音を出したいけど出ない」という、これから先ずっと付き合い続けるもどかしさの塊に出会うことになります。今ではたまに部室で好き勝手に高音をまき散らしてる時がありますが、あの声が出るなんて想像もできないような時代もあったわけです。今考えるとそのような状態で精神を保って生きてたことすらすごいと感じてしまうのですが…
中2では、課題曲の指揮をするなど積極的に合唱コンクールに関わりました。指揮法の未熟さやクラスをまとめて練習する困難さはもちろんありましたが、後になって選曲の難しさを痛感しました。2年3組の自由曲は「友~旅立ちの時~」。もともと三部合唱の楽譜しかなかったため責任者グループで二部合唱に編曲したり、音の飛びが激しい箇所が多く音程を合わせるのがうまくいかなかったりと苦労が絶えない曲でしたが、特別賞をいただけたのは本当によかったです。
このときの2年4組の自由曲は松任谷由実の「春よ、来い」。当時のぼくにとってこの曲はほんとに衝撃的でした。今までクラシック音楽と多少の流行りの曲にしか触れたことがない人にとって、昭和の歌謡曲は刺激的というよりすごく心地よい感覚に浸っている感じでした。
よく考えたらぼくが東方の曲好きなのってここと共通するとこありますよね。なんというか、うーん、和風な音楽って感じのとこです。小学生みたいな感想じゃん。しかも東方はそうじゃない曲も多いけど。
○Youtube Musicとの出会い
Youtubeで「春よ、来い」を聴いたのをきっかけに、AIにおすすめされる曲を次から次へと聴くようになりました。特に中2の終わりから中3の1学期にかけて、コロナ休校中はこの作業にかなりの時間を費やしたと思います。「high_note Music Lounge」という昭和から現在に至るまでの様々な邦楽を整理して投稿してるチャンネルをどこか大きな機関の公式チャンネルだと思っていたぼくはこのチャンネルにしばらくの間お世話になりましたが、1ヶ月もしたら使わなくなっていました。それは、ぼくが好きなジャンルを見つけたから…それが「Nightcore」です。
ちなみに、Youtubeで音楽を聴くようになるまではLINE MUSICで音楽を聴いていました。会員登録していたのでダウンロードした曲をデータ量を使わずに好きな時に聴くことができる、これは当時1月当たりの使用可能ギガ数が少なかったぼくにとってはすごく魅力的なことでした。(もちろんYoutube Premiumの存在を知ってからはすぐにそっちに切り替えましたが…。)この時期はまだ声楽は始めていませんでしたが、通学時間をはじめ、空いた時間で聴ける環境は高校生になってからいろんな意味でぼくの支えになりました。
○Nightcoreという音楽ジャンル
Nightcore(ナイトコア)とは、原曲のテンポを高速化かつピッチを上げるリミックスのことを指す音楽ジャンルで、波形編集ソフトウェアで原曲を加工し、一般的にはテンポが160BPMから180BPM、音域が高音の女性ボーカルになるように編曲されています。2002年にノルウェーのDJチームによって初めてNightcore楽曲が作られて以降、2000年代中頃からは世界各地の人が制作したNightecore楽曲がYoutubeに投稿されるようになり、一つの音楽ジャンルとして確立されて行きました。
YoutubeでJ-POPのNightcoreを聴くうちに、「この音域で歌ってみたい」という中3当時の音域では絶望的なことを考えるようになります。このときのぼくはある出来事のせいで男性ボーカルの声を聴くのが苦手になっていた上に、(←これ卒論そのままなんですけど、いまはその理由が思い出せないんですよね。卒論の最終原稿どこ行ったのー)中1のころから抱えている高音を出すことに対してのコンプレックスが深層心理として作用したため、このような思考になっていたのではないかと思います。
Nightcoreは原曲があり、それを編集しているだけなので、Nightcoreを聴き始めたころはそれまで聴いてきたJ-POPを聞き直すような形でNightcore版を聴いていました。一方で、Youtubeに上げられているNightcore楽曲は多くの場合再生リストが作られています。その再生リストを流す中で、J-POP以外のNightcore、世界的に有名な洋楽から始まり東方projectの二次創作楽曲やボーカロイド楽曲に至るまで様々なジャンルの曲に触れることになりました。
○東方二次創作と幽閉サテライト
Nightcore版ばかり聴いているとそのうち原曲を聴きたくなるのは自然なことで、中3の夏から秋にかけてぼくの中で原曲回帰がブームになりました。その中で好きになったのが東方の二次創作です。これを原曲と呼ぶとややこしいですね。許してください。いやでも、「色は匂へど散りぬるを」を初めて聞いたときの衝撃はいまでも覚えてます。二次創作とは思えないクオリティ、senyaさんの声、そして、何よりも「故郷に帰ってきたかのような安心感、なつかしさ」。ほんとにすごかったです。しばらくはずっと、というか今でもずっと幽閉サテライトさんの曲をYoutube Musicで回してますけど、心が落ち着くんですよね。
で、皆様疲れてきているでしょうから、そろそろ締めに入らないと。
(原作(?)ではここに「ボーカロイド」ってパートとうちの4年間の歌の練習生活(受験勉強ってなに…?)に関するパートがあったんですけど。なぜか保存していた原稿からサビがごっそり抜けていて私は悲しいです。普通にここまでで分量が多すぎるのでまた来年にでも話します。)
ぼくは、幽閉サテライトさんの音楽に癒されて、生きてこれた部分があるんです。(あまり誇張してないです。)だから、やっぱりこれからの人生で、音楽で人を癒す側、救う側に回りたいなぁって思うんですよね。今、オーケストラやってたり、歌ったり、GUTで演奏してたりっていうのもそれが原点にあると思います。
それと、GUT(とか東方二次創作界隈)って編曲とかもめっちゃすごいなって思ってます。音楽に限らずあらゆる創作物を「見てもらえる」ようになった現代で、クリエイターとかその演奏家って最も気軽で身近な関わり方だと思います。
オーケストラがバレエや合唱と共演するように、ボカロP、絵師さん、動画編集者などいろんな人が組み合わさって一つのボカロ曲を作り上げたり、ZUNさんの原曲に編曲者や演奏者が組み合わさって一つの二次創作を作り上げたりするのは魅力ですよね。
最後に、ここまでいろいろと話してきましたが結局なんでぼくたちは音楽を続けられるのでしょうか。不思議ですね。そんなことを考えていたら、2年前くらいに「えれくとりっく・えんじぇぅ」っていう曲に出会いました。
ワタシは、歌うのがスキ
ワタシがそう作られたからじゃない
この声をスキだという
アナタが歓んでくれるから
この曲はボーカロイド製品の目線で人間に向けて歌われているものですが、私たちにとっても同じことで、自分の音楽を好きでいてくれる、聴いてくれる人がいるからこそ音楽を作り続けられるんだと思います。もちろん他にも、承認欲求がもとになってたり、自分の気持ちを吐き出す方法の一つとして使ってたり…様々な形の音楽が世界に散らばっています。でもそういう音楽たちも結局はそこに回帰するんじゃないでしょうか。
おしまいです。書けなかった部分についてはまた機会があったら書きたいですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。