プラモデルとともにある人生

書いた人: よこ

こんにちは。よこです。アドカレに記事を投稿するのは久しぶりです。
修士2年生です。いつの間にか、かなりの上級生になってしまいました。

趣味でプラモデルを作ります。幼稚園の頃、当時好きだった恐竜のプラモデルを作ってくれている父親の姿を見て、ぼくもつくりたいと言ったのを今でも覚えています。

それがこのタミヤ 1/35 恐竜世界シリーズです。

恐竜は好きな色に塗っていいものですから、父親がどんな色を塗ってくれるのか、いつもワクワクしていました (幼稚園児は寝る時間が早いので、僕が寝ている間に父親が作り進めることが多かった)。本体の恐竜だけでなく、緑色のザラザラの紙を細かく刻んで葉を表現するシダ植物や、ジオラマの隅の池に小さな魚が泳いでいるなど、キットとしても非常に面白い内容でした。

自分でプラモデルを作り始めたのは、小学校中学年くらいだったと覚えています。

今はなきミドリ商会という昭和のプラモメーカーが発売していた人気ドリル戦車シリーズ、通称「モグラス」シリーズを、童友社という今もあるプラモ・玩具メーカーが復刻販売していた時期があります (このツイートで箱の画像が見られます)。その昔父親がこれの復刻版をモーターで動くように改造して一通り作ったやつが家にあり、自分でも同じように作りたくなってチャレンジしました。いわゆるSFメカは実物がないため、自分の好きなように作ることができます。創造力を働かせながら、ありあわせの部品でかっこよく改造するのが当時の自分にはたまらなく楽しかったのです。電動改造は小学生の自分には難しすぎて、結局1つも完成できませんでしたが。

小学校高学年の頃は母親に勧められて観た「宇宙戦艦ヤマト」に夢中になり、バンダイから出ている古いヤマトメカのプラモデルを沢山作りました。ヤマトの影響で、やがて関心は実在の軍艦に移り、1/700の艦船模型を作りまくる時期が訪れます。

艦船模型といえばまず定番なのが「ウォーターラインシリーズ」。主に第二次世界大戦の旧日本海軍の軍艦や現在の海上自衛隊の護衛艦などが多数ラインナップされています。「ウォーターライン」の名の通り、船の水面から上に出ている部分だけが模型化されています。置くだけで洋上に浮かぶ船の佇まいが再現されるのです。面白いのが、数ある軍艦たちの模型化をタミヤハセガワアオシマという3つの国内メーカーが社の垣根を超えて分担しているところ。例えば戦艦大和はタミヤ、戦艦長門はアオシマ、空母赤城はハセガワ、というように、共同開発ではなく単一のシリーズの中で複数社が別々に (重複しないように) 製品化しているのです。

さて、小学校6年生から高校を出るまで、途中あまり作らない時期もありましたが、一貫してウォータラインシリーズを中心に艦船模型を組んできました。最初は定番の戦艦大和、そして同型艦の戦艦武蔵、空母信濃と作り、次は戦艦大和が最後の戦いに臨んだときに艦隊を組んでいた軽巡洋艦矢矧、そして雪風を含む駆逐艦8隻を集めました。その後は長門型戦艦、真珠湾攻撃に参加した空母赤城・加賀・蒼龍・飛龍・翔鶴・瑞鶴をはじめ、雲龍型航空母艦、妙高型・高雄型・利根型重巡洋艦など、気に入った艦型の同型艦を全部揃えるという方向性で40隻くらい作りました。艦船模型は飛行機や戦車と違って出来上がりが非常に細長く場所をとらないため、自宅の展示スペースにこれでもかと並べて飾りました。

上京してから今までもそれに負けないくらい沢山のプラモデルを作っていますが、その話はまた今度にします。高校まで実家で作って飾ってあるプラモデルは、今でも帰省したときに毎回眺めています。いつか帰省したときにツイートした、会心の出来のプラモを選りすぐって紹介します。

1/700艦船模型いろいろ

コトブキヤ 1/1000 N-ノーチラス号 (「ふしぎの海のナディア」より)

フルスクラッチビルド(キット組立ではなく自作) デスシャドウ号 (「わが青春のアルカディア」より)

自分にとってプラモデル作りは、ほっと一息つける趣味でもあり、狭い部屋の収納スペースを確保するためのやっつけ仕事でもあり (完成させて箱を潰すと部屋の空間に占める体積が減る)、アニメの片手間に手を動かせる楽しい単純作業でもあり、時には自分のスキルや表現力を駆使して理想のイメージを追い求める戦いでもあります。ずっと何かを追い求めて戦い続けるのは疲れますし長続きしません。好きであることとそれを一生懸命頑張ることは全然別のことだと思っていいのです。そんなことを改めて実感しながら、今日も修論をよそにせっせとプラモを作っています。